花ぷら

花ぷら10.5(2008/4)

「花ぷら」とは、もともと「花馬 米(はなうま・べい)のハワイぶらり一人旅」と呼んでいた、筆者の一人旅の様子をご紹介する旅行記です。略して「花ぶら(hanaBura)」。それが「花ぷら(hanaPura)」となりました。小数点が付いているのは、一人旅ではなく、連れがいるときの旅行記だからです。

今回は、母とその実姉(つまり母方の伯母)を連れ、計3人でのハワイ旅となりました。この旅の時、母は昭和2年(1927)生まれの80歳、伯母は大正14年(1925)生まれの82歳です。 母のほうはハワイ渡航歴が数回あり、健脚ではないものの日常生活での歩行は、ほぼ問題ありません。どうにかこうにか携帯電話のメールもでき、国内であれば自力でプランをたて、JR グループの「ジパング倶楽部」をフル活用して、予約なしの行き当たりばったりの一人旅をやったりします。
伯母のほうは自立歩行はやっとで、外出には杖がないと転倒の危険があり、車いすがないと通常の外出が困難な状況です。耳は遠くなり、テレビを大音量で観るという状態です。ガスレンジの火をつけたまま忘れてしまい、ボヤの寸前までいったことが二度ありました。2007年の末には介護保険利用者となり、「要介護2」となりました(執筆時点の2008年夏には要介護3)。

2008年4月27日、日曜日。 かなり以前から心の中で計画していた、高齢の伯母をハワイへ連れて行く日が来た。しかし実はこの前日の夜、荷物をまとめた後になっても、行く行かないでかなり揉めていたのだ。高齢者の常なのだろうが短期記憶が悪くなってきたことや、生来の気分屋もあいまって、きょうまで二転三転どころか、ハワイ旅行に関して口喧嘩もときどきあった。

記念の家族写真を撮るのだといって写真館に連れていき、その「ついで」だといって、パスポートの証明写真を撮ったりした。会社を休んでパスポートの申請に連れて行ったりもした。なんだかここに漕ぎ着けるまでが、一つの物語だったような気もする。

でも、どうあれ成田空港へ向かう新幹線に乗り込めたことで、まずはひと安心というところだ。


伯母は82歳で要介護2。短い距離なら杖をついて歩けるのだが、ちょっとした外出となると、車いすがあった方がいい。数日前に、新幹線の降車駅である東京駅に連絡してあるので、駅員が車いすを持ってホームで待機している手筈(てはず)となっている。

今回は、かなり贅沢な旅だ。 というのは、なにより高齢者を疲れさせないということが最も大切な旅となるので、新幹線はグリーン車、飛行機はビジネスクラスを予約してあるのだ。ましてこの原油高騰の中、しかもゴールデンウィークである。ここまでするのも心のどこかで、伯母にとっては最初で最後の海外旅行であり、いわゆる「冥土の土産」になることを感じているからだ。

ただし、宿は贅沢ではない。簡易なキッチンがついた日本人むけコンドミニアムにしている。それは、どんな簡単なものであったとしても、自宅でいつも食べているようなものを作れるようにするためだ。


東海道新幹線こだま550号は、定刻に東京駅に到着した。駅員が車いすを準備してホームでスタンバイしてくれている。車いすに座った伯母は、 「ラクチンやなぁ」と、機嫌がよい。

東京駅の場合、新幹線ホームと成田空港行きの列車が出るホームは、かなり離れている。広い、そして人ごみで混雑する東京駅を端から端まで移動するだけでなく、地下ホームへ向かう上下移動もともなう。

私はうっかりしていたのだが、東海道新幹線から成田エクスプレスに乗り継ぐ場合、東京駅ではなく、ひとつ手前の品川駅で乗り換えると非常にスムーズなのだ。それでも JR 東海の駅員は、伯母の車いすを押しながら、東京駅丸の内北口改札まで誘導してくれた。車いすのサービスはここまでだ。

東京駅には駅長が二人いる。 すなわち JR 東海の駅長と、JR 東日本の駅長だ。東海道新幹線は JR 東海だから、その部分だけが JR 東海の「領域」ということになるだろうか。そう考えると、JR 東海の係員とその旅客である我々は、JR 東日本の「領域」を通過してきたことになる。


乗り換え時間は約一時間をみてある。本来なら乗り継ぎのよい成田エクスプレスがあるのだが、それを避け、じゅうぶんな乗り継ぎ時間をとってあるのだ。伯母にとっては新幹線で東京に出かけること自体が、人生の中でめったにない出来事だ。心身の疲れは、一般人とは違うだろう。

いったん改札を出て、杖をつかって歩いてもらいながら、和菓子を出す喫茶店に入って一息つく。車いすのサービスは、改札の外までは利用できない。 ちょうど伯母の大好物である、だんごのセットがある。小さな急須には黒豆茶が入っているそうだ。

こうして高齢者を連れて歩いてみると、ほとんどの商業地域は、元気で健康な若者をターゲットにつくられていることを実感する。じつはこの和風の喫茶店も、事前に東京駅構内の様子を調べていたときに、目をつけていたところだ。 車いすを降りることになる丸の内北口改札から近く、歩行距離も少なくて済む。成田空港行きの列車が出るホームへも、エレベータをつかって割と苦労せず移動できる。

のんびりとお茶とお菓子で休憩し、店を出る。そしてさっき行ったばかりの、丸の内北口改札そばのトイレを、もう一度利用する。まるでヘビースモーカーが、何かのきっかけがあるたびに煙草に火をつけるがごとく、伯母はトイレに行くのである。したがって外を出歩くときはトイレ、それも障害のある人などが使いやすくなっているトイレのある場所をチェックしておくことが欠かせない。そして念のため、成人用のオムツもスーツケースに入れてある。成人用のオムツを使うことは、本人としてはもちろん抵抗があったが、最近ようやくそれが薄らいできたようだ。


特別につくられた個室仕様のトイレは、以前は「障害者用トイレ」と呼ばれたりもしていたが、現在では「みんなのトイレ」、「だれでもトイレ」などと表示されるようになってきた。そのため一般の人でも利用しやすくなり、「ハンディがない人は使ってはいけない」 、「健常者は使ってはいけない」という誤解によるトラブルに対しても、一定の効果があるようだ。

公衆トイレ、階段、坂道、建物に近い駐車スペース、乗り物、その他公共施設など、ハンディのある人が利用しやすい工夫は、日本でもここ数年すすんできた。いわゆる「ハートビル法」などの法律が整備されたり、改正されたことがその大きな理由だ。しかし心配なのは、ハードウェアが充実してよかったよかった、ではないということである。 もちろんハードウェアが充実しているに越したことはないが、ハンディがある人や、困っている人がいるその時、その場所で、他人がちょっと手を差しのべれば解決できる問題は少なくないということだ。 「便利な道具があるんだから、それでいいじゃん」 ではないのだ。ハードウェアが充実していない場所であっても、ハンディのある人が快適に暮らしている例は少なくない。その理由は人の力、心の力があるからだ。そのことを忘れてしまう社会であってはならない。

また逆に、ハンディを持っている人も心得ておかねばならないことがある。いじけないこと、邪推しないこと、ひねくれないこと、自らの個人的欲望を通すためや、つらさをわかってくれない社会への苛立ちを晴らすために、そのハンディを錦の御旗、武器にして、関係のない他人を攻撃したり威圧したりしないことだ。 たしかに、ひねくれたくもなるだろうし、とうてい一般人には理解してもらえない苦しみもあるだろうが、世間を恨んでみても解決されるわけではない。関係のない他人にまで攻撃をしかけるようでは、社会から一定の距離を置かれてしまうのがオチだ。人や社会を恨んで人生を過ごすのはとても悲しいし、結果としてさらなる不幸を呼びこんでしまうことになるのではないだろうか。

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